そこには救われる命がある!ありがとう。命を守り守る会

AEDは、救命機器として注目されているが3.7%ほどしから救われないとの残念結果もあり。救われる命 救われない命もありますが、あなた自身の命の響きについて考えます。

命に関わる怖い薬の副作用

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風邪のひき始めで

これはずいぶん昔の話になるのですが、今でも思い出すと怖くなるような経験です。
社会人になって、慣れない仕事を始めたばかりで、体調を崩してしまいました。
平日はまだ休みを取りにくく、市販の薬を飲んで過ごしていたのですが、日曜日のお昼頃からどんどん気分が悪くなってきました。
ちょうど友達が家に来ていたので、日曜在宅医の病院を探して連れて行ってもらうことにしました。
車で20分くらいかかるところで、初めてかかる病院でした。
まだ若くて、記入するほどの病歴もなく、問診はあっという間に書き終わり、診察を受けました。
案の定、疲れから風邪をこじらせてしまったのでしょう、と診断されました。
薬のアレルギーなどもなかったので、抗生物質とのどの薬、痛み止めの頓服のお薬を処方されて帰宅することになりました。

薬を飲むと

帰宅して、簡単に食事をとり、食後のお薬を服用しました。
風邪がうつると申し訳ないので断ったのですが。それでも友だちはずっとそばにいて、薬を飲んだら帰るねと言ってくれていました。
しばらくすると、何かしら体に変な感じがしてきました。
まず、顔から頭にかけて熱くほてってきて、ぱーんと弾けてしまうのではないかと思うくらい、腫れあがっていくような感覚になりました。
とっさに、人に見られたくないという気持ちになってきて、布団で顔を覆い、友だちに「濡れタオルをもってきて」と頼みました。
友だちがタオルを持ってきてくれると、それを顔に当てて冷やしました。
なんだかわからない感覚に恐怖を感じていたのですが、すぐにその予感が現実になりました。
全身に大きな岩が落ちてきたような、苦しい、たまらない苦しさと全身の痛みを感じました。
友だちは、とっさに救急車を呼んだようです。
私はこれ以降の記憶がありません。
聞くところによると、その後私は嘔吐し、「助けて」と、か細い声で何度か言っていたようです。
救急車がきて、2軒の病院に運ばれたらしいのですが、どちらの病院でも瞼を開き、瞳孔をみると首を振って受け入れを断ったらしいのです。
次に私の記憶があるのは、病院の診察室の台の上です。
結局、日曜在宅医で診てもらっていた病院に運ばれ、そこに近くの救急病院の医師が助っ人で来てくださったということでした。
台の上で、手にも足にもたくさんの点滴をぶら下げられて、お医者さんが頬を叩きながら私の名前を呼ぶ声で目が覚めました。
母と友だちに聞いた話ですが、そんな様子で蘇生をしてもらい、生き返ったというのです。
私には、痛いと苦しいという感覚以外の時間がすっぽりと抜けているので、すべて聞いた話なのですが。

薬には気を付けて

これまで、薬でアレルギーなどの症状をおこしたことなどなかったのですが、
アナフィラキシーショックを起こしたのでしょうね」
言われました。
かなり、体力が落ちていた時だったからなのでしょうか?
今でも、なぜなのか良く分かっていないのですが、ただ合わない薬が存在するということだけは身をもって知ることができました。
あれから10年以上の時がたっていますが、今でも抗生剤のお薬はある1種類しか飲んでいません。
抗生剤以外のお薬も初めて飲むものは、手に取ると震えてしまいますし、病院で1回分を飲んで4、50分ほど待合室で異常のないことを確認してから帰宅しています。
こういうことがあるということを知り合いにも教えて、薬はしっかりと用法や用量を守って少しでも副作用のリスクを少なくするようにと話しています。

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命の大切さと火の怖さ

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静かな夜が一変…?

もう、10年以上前のことです。私は当時高校生です。
その日は、静かな夜でした。
この時期、期末テストや、部活動といったことで、とても忙しくてほとんど寝れなかったり、家にいてもなにもできないという日々が続いていて、疲れていたのかベットに入って眠っていました。今でも覚えています。
只今の時間10時。いつもと違うのは隣の部屋の父と真ん中の弟が進路について話し合いをしていたぐらいです。
いつもだったら父は寝ていました。この日に限っては起きていました。刻一刻と近づいている恐怖を知らずに

火事発生

11時半、私は暑さと寝苦しさで目を開けました。何気なくドアを開けてみると煙が充満していました。私は一階にいる家族の元へ行こうとしましたが、煙と炎で先に進めず、一旦部屋に戻りました。
私の部屋は二階。窓を開けようとしましたが、熱で開けれず、どうしようかと悩み、私の頭の中はパニックでした。
その時、父が一階からよじ登って助けにきてくれました。私は暑さと閉じ込められたことにより、泣いていました。
泣くことしかできなかった。私の思い出も全て火の中。
うちに、犬と猫を飼っていましたが、猫は幸い散歩中で近所にいたそうで、犬はくさりを外して近くにいたら危ないからと逃してあげましたが、私の元へ戻ってきてしまいました。
後から聞いた話は近所の方が消防署に連絡してくださったそうです。
消防署よりも地元の消防団が近いので助けてくださりました。
ただ、私はやはり、自分の大切なものがったので取りに行きたくて、戻ろうとしましたが、止められました。
私だけ母の知り合いの家へ、両親や弟は幼馴染の家へ。私は心配して駆けつけてくれた母の知り合いが、私の様子をみて私だけ預かるのを申し出てくれました。
次の日から家に行き、後片付けをしました。
多くの近所の方が来てくれて手伝ってくれたり、使わなくなったものをくれたりしました。本当に感謝してます。

この体験から得たものとは…

私はたくさんの人に助けられました。もしかしたら、私はあの時、死んでいたかもしれない。
今は結婚して夫も子供もいます。あの時の私は想像もしていませんでした。助けていただいた方、私に関わってくれた方々にありがとうといいたいです。そして、今を大切にしてこれからを生きたいと思います。

友人と車を取り替えてなかったらヤバかった

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初めて友人と車を取替えッこした

今から15年以上前の話です。
当時私はホンダのvamosという車に乗ってました。
今でも販売されてるロングセラーの車なので、知ってる人も多いと思います。
運転席より前のボンネット部分はほぼないので運転しやすいですし、荷物は沢山載せれますし、いざとなれば車中泊が可能という所が気に入って購入しました。
たまたま私の友人から荷物の運搬に使いたいから貸して欲しい、良かったら友人の車(三菱のスポーツカー、GTO)と週末交換してくれないかとお願いされたんです。
それまで例え数日とはいえ車の交換なんてしたことありませんでしたが、仲の良い友人の頼みだったのとストレートモンスターと異名を取るGTOのマシン性能を堪能したいという好奇心も手伝い車を金曜の夜に交換しました。

出勤途中で事故発生

金曜の夜にGTOの運転を楽しみ、土曜の朝職場に向かってる時に事故は起きました。
住宅街の中央分離銭のないような狭い道同士の交差点で出会い頭の事故でした。
相手側には一旦停止のマークがあり、相手から見て私は左側(左方優先)、まあ相手の方が過失割合の高い事故です。
ただやばかったのは、私から見て右側からぶつけられたことです。
要するに私の運転席目掛けて相手の車は突っ込んで来ました。
幸い事故による怪我は私も相手もほぼ無傷で物損で済みましたが、おそらく車を交換してなかったらヤバカッたと思います。

というのもGTOはフロントのボンネット部分が前に突き出てる車で、VAMOSはボンネットはほぼない車です。
つまりGTOの突き出たボンネット部分のおかげで相手に早く視認してもらえ、ブレーキも少しでも早く踏んでもらえ衝突のショック軽減に繋がりました。
次に車の耐久度の差もあります。
GTOのドアってものすごく厚みがあって太いんです。ドアだけじゃなくボディ全部いえることですけどね。
2トンを超える車両重量と頑丈なボディのおかげで私の体は守られました。
もしVAMOSのペラペラのドアなら相手の車にドア突き破られ、恐らく私は相当な衝撃を受けていた、下手したらく死んでたんじゃないかなって思います。

車の選び方が変わった

ちなみにGTOはドアが少しへこんで傷がついたぐらいでしたが、相手の車はフロントはかなりへこんでました。
今回は友人のGTOに救われた形になりましたが、この事故から私は運転はしずらくなってもいいのでフロント部分の大きい(その分ショックを吸収できる)車や、ボディに厚みのあるガッシリした車を選ぶようにし、事故時の衝撃対策を考えるようになりました。

火は十分に注意して

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キャンドルが大好きに

大学生のときのことなのですが、この時香水やお香、キャンドルなど匂いや部屋でのオシャレアイテムが気になるようになりました。
大学生になり一人暮らしを初めて、初めはホームシックにもなりましたがだんだん慣れていき、服などだけでなく部屋のオシャレアイテムなどに興味を持つようになりました。
ファッション雑誌などを読むと、モデルさんが愛用している香水や持ち物、お部屋など公開していて真似したりして集めたりしました。
そんなときに・・・

目の前が真っ赤に

その日も、買ってきたお香を炊いたりしていました。いつもと違い、今日はキャンドルを灯してその光だけでベッドでくつろいでいました。そのうち睡魔に襲われ眠ってしまいました。
すると、パッと目を覚ますと目の前が火で真っ赤になっていました。やばいと思ってすぐに起きて消しました。
寝ている間に手がキャンドルに当たって倒れ、その日が布団にうつってしまったのだと思います。ちょうど目が覚めて良かったのですが気づかなかったらと思うとぞっとしました。
起こってもおかしくないことですがまったく予想していませんでした。

火は危ない

キャンドルだからと火を扱うことに対しての緊張感がありませんでした。普通に考えれば分かることですが、まったく気にせず過ごしてしまいました。
少し、おしゃれなことをして気分が高揚して、寝てしまうなんて。あの時に何で目が覚めたのかは全く分かりませんでしたが、神様が教えて下さったのだとこのようなことを二度としないようにと心に誓いました。
よくテレビなどで火事になったというニュースを拝見しますが、このようにうっかりミスで火事になってしまうのだと思いました。火事なんて自分は大丈夫だとか、そうそうならないだろうと思っていました。
しかし、今回で 火の怖さを知りました。一瞬で火は広がりますし、なかなか消えませんでした。
起こってからでは遅い、細心の注意を払って行動しなければいけないと強く思いました。

車は急に止まれません

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胸騒ぎを感じた留守番電話

夜の仕事をしていた時の話しです。毎日のように職場ではもちろん、仕事帰りにも行きつけのお店で飲むことが多く、どうやって家に帰ったのかすら覚えていない日もありました。
ある日、いつものように勤務後も飲んで深夜2時頃に帰宅しました。
固定電話に留守電が入っていたので確認してみると、友人からメッセージでした。
いつもと違う緊迫感のある友人の声に胸騒ぎを覚えました。泥酔状態だったにも関わらず、私はいくらかの現金を持って家を飛び出しました。

人も車もなかったはずの国道で

とにかく、一刻も早く行かなければと、自転車で5分程の友人宅へ向かいました。
国道沿いに出た時、赤信号だったので一旦止まって信号待ちしていましたが、待ちきれずに左右を確認して赤信号を渡りました。深夜だったので車は一台も確認できなかったのですが、信号を渡りきる直前、どこかから左折してきた車に跳ねられてしまったのです。
直後のことはよく覚えていませんが、「逃げるな!」「救急車を呼べ!」などの声が聞こえました。
あまりの痛さに目を醒ますと私は病院の手術室で処置されていました。数ヶ所を縫う処置をされていましたが、泥酔だったため麻酔は効かず叫び、暴れて医師には「そりゃあこんだけ飲んだら麻酔も効かんわ!」と怒られました。

急がば回れ、信号は青になってから

私は全身打撲と擦り傷、合計5針の切り傷で全治一ヶ月でした。
後日、巡回の際に医師から説明を受け驚愕しました。もし泥酔状態でなかったら私の命はなかったと。
もし素面状態での事故であれば全身骨折だったと。泥酔状態で体が柔軟だったため全身打撲で済んだと。
痛い思いをしたけど、奇跡だなと思いました。
しかし、ほんとにあの痛みは二度とごめんなので二度と信号無視はしません。どんなに急いでいても点滅の青信号も渡りません。自転車も、常に足で止まれるぐらいのスピードで乗るようになりました。
痛ましい事故のニュースなどを見るたびに、「他人事じゃないよ」と子供達に言い聞かせています。

ある冬の朝に降りかかった出来事

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遅い朝食を取ろうと

もうかれこれ7年ほど前のある冬の日のことです。当時福祉施設に勤務しており、不規則な勤務時間だったためその日は仕事に行く前に遅い朝食をとるため台所に立ちました。
寒い朝で、お気に入りの手編みのセーターを着ていました。このセーターはイタリア製のラッセルモールをを使用した手編みで毛足が長く着るとふわふわモコモコしています。

突然自分が炎上

昨日の残りものチャーハンがフライパンにあったため、温めようとガスをコンロの火を入れた途端、セーターの袖口から火が引火し、ワッと着ていたセーターが燃え上がりました。
突然自分が火に包まれ、髪の毛が焼け焦げる嫌な臭いが!慌てて流しで水を浴びましたが火は消えてくれず、咄嗟の判断で燃えているセーターを引きはがすように脱ぎました。
火のついたセーターは流しで水をかけて火を消しました。幸いその他の部分に火は移っておらずすぐに火を消すことができました。自宅に一人でいたため、助けてくれる人もおらず、しばしば茫然としていました。
髪は3分の1ぐらい燃えてこげてごわごわになっていました。唇など顔に何か所かやけどを負いました。
すぐにお風呂に入ってしばらく水を浴びました。顔は唇が少し赤くなっているぐらいで何ともないような気がしましたが、何時間かして膨れてきました。
ただ火傷以外は怪我もなく元気だったのでそのまま出勤したら同僚、先輩にどうしたの、その顔と頭!と驚かれそのまま通院するよう言われました。
顔のやけどはそうこうしているうちにどんどん腫れてきて目立つようになりました。やけどが治るのに2か月ぐらいかかりました。

今でも思い出すたびに怖いなーと思う出来事です。
それ以来調理をするときはなるべくセーターを着ないで脱ぐようにしています。
セーターじゃなくてもガスの火を扱う時は袖口に注意しています。
まだその時は若かったので対応も早く、回復力もはやかったからよかったもののこれが高齢の方などだったら助からなかったかも、などとよく考えます。
お年寄りの一人暮らしの火事などのニュースを聞くたびに、一瞬で火に包まれる恐怖を思い出しお気の毒に感じます。

慣れが恐いと実感した日

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日常の仕事の中でまさかの出来事、私は、塗装工に勤めています。
経験は13年ほどです。
いつものように、仕事仲間と集まりいざ現場え向かいました。
現場に到着し、8階建ての外壁塗装ともあり足場は高いのですがいつもの足場で慣れているので何の心配もありませんでした。
仲間と足場に上り壁の塗装を開始しました。
その日私の体調は好調と言うことで、いつもより仕事進められればと意気込みを感じていました。
壁を塗る材料が無くなり、足場の上を走ってとりに行きます。
いつものことだ、私はそう思いながら仕事をこなしていきました。
しかし、いつもと違う決定的なことがありました。
それは、足場の幅でした、次に渡る足場との間に足はおろか、体がすっぽり入るほどの隙間が何箇所かありました。
しかし、これも日常茶飯事のため、気に留めませんでした。
仲間同士声を掛け合い、ここが危ないや何階の何番が危険と教えあっていました。
しかし、夢中で仕事をすすめると忘れてしまうそうで私は足場の上を走り回り仕事をこなしていきました。

警告も忘れ事故を起こしてしまいました。
再度、材料を取りに足場の上を走りました。
走りながら隙間のある足場が迫ってきます。
私はなぜか、隙間をまたぐことができず、そのまま隙間へ入ってしまいました。
そうです、ここは8階です。
いつの間にか目を瞑っていた私は、自分でも分けがわからず
目をゆっくり開けると宙に浮かんでいました。
周りの景色は、足場を突き抜けて、足場の外に、そしてなにやら腰が痛いのです。
私はゆっくり腰を見ました。
理解に苦しみましたが、理解しました。
私の腰には安全帯という、命ずながあります。
しかし私は足場の移動中もあり使用していませんでした。
なぜ?と思い安全帯の先端を目視していくと驚きました。
私の安全帯の先端が、足場の単管パイプに挟まってひっかかていたのです。
これが無ければ、私は即死でした。
仲間に声をかけ引っ張ってもらい、無傷で事を終えました。

安全を軽視せず毎日気を引き締め
私は、いつもの仕事ですし危険な場所はわかっていると慣れから余裕を持って事故を起こしました。
現場と言う場所は慣れてはいけない場所であり、危険な場所は慎重に扱うよう反省しています。